今日庵 [茶席]

裏千家今日庵(うらせんけ こんにちあん)

1646年、千宗旦が不審菴を江岑宗左に譲り隠居所として建てた茶室。
席開きの当日、時刻に遅れた清巌和尚が、 茶室の腰張りに書きつけて帰った「懈怠比丘不期明日」(懈怠の比丘明日を期せず)の意に感じて、 宗旦が今日庵と命名したとい
う逸話で知られており、裏千家の象徴とされる名称。

天明の大火で焼失。
1807年に再興。
または、焼失を免れたとも言われる。

裏千家今日庵の兜門.jpg


外観
寒雲亭の東南に付随。
杮葺片流れ屋根。

内観
二畳の空間に天井は竹垂木竹木舞の化粧屋根裏。
一畳の丸畳と台目畳からなる。
台目の点前座に向板。
炉は向切り中柱を、こぶし丸太使用で立てている。(中柱上部に花入れ掛けの釘)
向板の三方以外は、反古紙が腰張りとして張られている。
しかし、台目構えではない。
茶道口と矩折に水屋洞庫。

今日庵平面.jpg


開口部は躙口、連地窓、下地窓。

狭小に凝縮された詫びの空間。

※向板:茶室にて、お手前のときに、
台子(臺子、だいす)と、屏風を置くための地板。
茶室の畳の台目畳の向こうに付き、奥行き1尺5寸程度 幅は、畳の巾の板
向こう板と台目畳をあわせると、ちょうど丸畳の大きさになる。

所在地:京都市上京区小川寺ノ内

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弧蓬庵忘筌 [茶席]

弧蓬庵忘筌(こほうあんぼうせん)

孤篷庵は、大徳寺の塔頭(たっちゅう)である。
他の塔頭群とは離れた、大徳寺境域の西端に位置する。
庵号の「孤篷」は孤舟(こしゅう)のことで、小堀政一(遠州)が師事した春屋宗園(しゅんおくそうえん)から授かった号である。

最初は慶長17 年(1612 年)に、小堀遠州が大徳寺塔頭の龍光院内に江月宗玩(こうげつそうがん)を開祖として自身の菩提寺として小庵・孤篷庵を建立。
当初の規模は不明だが、龍光院内に建てられていたことから、小規模なものであったと思われる。
寛永20 年(1643 年)に現在地に移され建物や庭を築造。

その後、寛政5 年(1793 年)の火災により焼失するが、遠州を崇敬した大名茶人で松
江藩主の松平治郷(不昧公)が古図に基づき忠実に再建した。

忘筌 は本堂の西北部に継がれている。

九畳(手前座一畳を含む)と三畳の相伴席(しょうばんせき)からなる十二畳の広間の茶席で、一間幅の床(とこ)を配置。
床柱は室内面取り角柱、長押と内法高が一線になっている。床脇の手前座の壁は腰に明かり障子を嵌め込み、草庵風の意匠も取り入れている。
天井は板の木目が浮き出た「砂摺り天井」と称するものである。


忘筌(ぼうせん)とは荘子(そうじ)の「魚ヲ得テ筌ヲ忘レ」という句からとったものといわれる。「筌」とは魚をとるための道具で、前述の句は「目的を達すれば道具の存在を忘れる」という意味であり、禅の悟りの境地と結び付けられている。

庭園に面した西側には広縁を設け、広縁と庭の境には明かり障子を嵌め込む。

弧蓬庵忘筌1.jpg


この明かり障子は下半分のみが吹き放しになっており、この吹き放し部分が庭園を眺める際の額縁のような役割を果たしている。
ここから見える「露結(ろけつ)」と称する蹲(つくばい)と、各地の名石を集めて作ったという「寄せ燈篭」は著名である。

遠州の晩年作品とされ、書院茶室の完成を意味するとされる。

所在地 :京都府京都市北区紫野大徳寺町
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閑隠席と桝床席 [茶席]

聚光院 閑隠席(じゅこういん かんいんせき)及び桝床席(ますどこのせき)

聚光院は臨済宗大本山大徳寺の塔頭のひとつである。
室町幕府12代将軍・足利義晴に仕えた三好長慶(みよしながよし)の養子・義継(戦国武将)が永禄9 年(1566 年)に養父の菩提を弔うために笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)を開山として建立。
開祖・笑嶺和尚。
和尚は利休の参禅の師でもある。
※参禅(さんぜん)禅の道に入って修行すること。また、座禅を組むこと
利休の墓所でもあり、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)菩提寺でもある。

閑隠席(かんいんせき)
利休150回忌の寛保元年(1741年)に表千家7世・如心斎が造り、寄進したもの。

桝床席(ますどこせき)
閑隠席と同じ建物内

全体は一棟で、その中に閑隠席と桝床席が水屋を中心に東西に分けた配置。。

閑隠席の間取りは、三畳で中柱入りで床の間は下座床。
三畳の真ん中が点前座で上げ台目切り。
中柱と床柱はともに赤松皮付き。
天井は野根板張り白竹打ち上げ平天井。
点前座の天井のみ蒲落天井となっている。
窓は、墨蹟窓と躙口の上の下地窓のみ。

閑隠席1.jpg

桝床席(ますどこせき)
入り口は、貴人口の形(腰障子二本)をとっている。
枡形の踏込床(枡床)があるため桝床席と呼ばれる。
四畳半平面のうちの半畳を床の間とした形式。

炉は床の間に接して向切り。
この桝床は表千家六代・覚々斎原叟の好みと伝わる。

桝床席1.jpg


閑隠席は、利休の好み漂う茶室だが、桝床席は、完全な茶室というより居住の機能がついた開放的な空間を造っている。

所在地 :京都府京都市北区紫野大徳寺町

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飛雲閣茶室 [茶席]

本願寺飛雲閣茶室(ほんがんじ ちゃしつ)憶昔(いくじゃく)の間

本願寺のはじまりは、大谷本廟(おおたにほんびょう)宗祖親鸞の墓所で。
後に現在地に留まる。
1591年頃のこと。

西本願寺(にしほんがんじ )は、京都府京都市下京区にある浄土真宗本願寺派の本山の通称である。正式名称は「本願寺」。

その中に飛雲閣が東南隅に建っている。

この飛雲閣は、金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つ。
秀吉が建てた聚楽第(じゅらくだい・てい)残存といわれている。
しかし、定かではない。
ただし、各書物などから桃山時代の形を維持していることから元和の火災後、再現されたとの推測されている。


外観
三層からなる楼閣(ろうかく)建築で、第一層が入母屋と唐破風を配しているように左右非対照になっており、不規則ながら巧みに調和されている。・・・?

本願寺飛雲閣茶室1.jpg


憶昔(いくじゃく)の間は寛政7年(1795年)の茶会の為、造られたことは明らかである。

飛雲閣にある船入の間の東の水屋をおいた位置に接しているのが茶室。

間取りは、三畳半と板の間の相伴席(※薄縁)。
上げ台目に炉(本勝手)が切られ床は座敷中央に配置。
※上げ台目で中柱が無いのと、床の位置も珍しい配置といわれる。

床柱だけとっても、大きな南方の珍木が使われている。(蛇の目の木)
三畳半と相伴の仕切りが無目の敷居(ミゾなし)と丸太壁留め。
三畳が上段としている。

憶昔(いくじゃく)の間.jpg


※台目切は台目畳を使い中柱有り

【上げ台目…丸畳を使い中柱有り】

※薄縁(うすべり)とは、通常、床の間の床に敷く、畳の形をした薄ぺらい敷物。
畳表に直接畳縁を縫いつけた敷物で、畳より薄いことからこの呼び名がつけられている。

所在地 : 京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル




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菅田庵 [茶席]

菅田庵(かんでんあん)

旧松江藩家老有沢家の山荘(菅田山荘)にある松平不昧治郷が狩などする際立ち寄った場所とされゆかりの地。

江戸時代中期の1792年(寛政4年)頃に松平治郷(不昧)自ら総合的に設計を行い造ったといわれる茶室。

外観
どっしりとした入母屋茅葺屋根に杮葺の庇をつけた田舎風の建物。

菅田庵1.jpg


内部構成は、一畳台目の茶室で、手前座と客座の間に幅1尺4寸(約42cm)の中板を入れ、中柱(この近辺に一重棚が吊られている)、袖壁をつけている。

床の形式は、洞床(左袖壁)塗り回し。
※踏み込み床では無く框付き板床。
客座側天井は、竿縁。
点前側は、網代の落ち天井。

向かい合った勝手口と躙口。
炉は隅切。

躙口の上に連子窓。
床の向こう側に円形窓。
西側の奥に墨蹟窓。

極小スペースの茶室で草庵茶室を基本としている。
しかし、窓の配置、大きさなど創意工夫をこらし、おおらかさを表現、茶人の個性が溢れている。

※松平 治郷(まつだいら はるさと)は、出雲松江藩の第7代藩主。
直政系越前松平家宗家7代。
また、江戸時代の代表的茶人の一人で、号は不昧(ふまい)。

所在地:島根県松江市菅田町

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裏千家又隠 [茶席]

裏千家又隠(うらせんけ ゆういん)

利休の孫である宗旦が隠居の為に建てたもの。
又隠の名の由来である。
(四男の宗室に自分の隠居屋を譲り再び建てられた建物)

天明の大火で焼失し、1789年に再び興した名席。

外観
入母屋茅葺
南を妻とし厚く葺いた軒など、田舎くささがただよう。
妻側の屋根、入母屋の葺き下がった位置に突き上げ窓が付いている(中央)。

裏千家又隠1.jpg


飛び石は、小さな物を使い【豆撒石】と称され有名である。
沓脱石も同様に小さい。
飛び石の詳細は、利休または宗旦の好むものとされる。

内部構成
四畳半で躙口から正面に床が見える。
洞庫と呼ばれる勝手付きに設ける押入れ式の棚を完備。

突き上げ窓を含め三箇所の窓しかなく、天井高も低い為に内部全体が薄暗い。

床柱は、出節をなぐり、【ちょうな】でアクセントを凝らした档丸太。

点前座の入隅は、楊子柱とし、空間を広く魅せようとする作意が感じ取れる。

裏千家又隠内観1.gif


床から点前に三畳分の網代平天。
躙口付近は、化粧屋根裏掛け込み天井(突き上げ窓付き)。

裏千家又隠3.jpg


聚楽屋敷を彷彿させる価値ある茶室。

所在地:京都市上京区小川寺

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仁和寺 飛濤亭 [茶席]

仁和寺 飛濤亭(にんなじ ひとうてい)

仁和寺のもう一つの茶室。
こても江戸末期の作品。
光格天皇の愛用、また自ずから造ったとされる。

外観
池を隔てて築山に建つこの 飛濤亭。
入母屋茅葺の屋根。
いかにも田舎風。


仁和寺飛濤亭1.jpg



内部は、四畳半座敷と床の構成。
ここでのポイントは、貴人口だけである。
躙口を設けてない。
床の形式も洞床、袖壁のついた床で洞床、袖壁が付いている。
また、踏み込み床形式で落とし掛けも見当たらない。
ゆとりのある空間で貴族的な要素を感じ取る茶室。

侘びをベースとしながら、円窓、なぐりの栗床柱。
少し派手な意匠が見られる。
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2010-06-16 [茶席]

仁和寺 遼廓亭(にんなじ りょうかくてい)

仁和寺は光孝天皇の命令で仁和2 年(886年)に建て始められたが、同天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御した。
遺志を引き継いだ宇多天皇によって、仁和4年(888年)に落成し、「西山御願寺」と称されたが、やがて年号をとって仁和寺と号した。
宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、当寺には「御室(仁和寺)御所」の別称がある。

この庭に二つの茶室がある。

その一つ、西に遼廓亭(移築された茶室)。
これは、江戸末期に、仁和寺門前の尾形光琳邸から移したと言われている。
光琳が造った茶室である。

如庵のコピーとまで言われるが、茶室の勝手口が塗回しの火灯口。

如庵間取りお借りして.jpg


全体的に貧弱な点では、作者の好みが反映されている。

外観
杮葺屋根。

仁和寺 遼廓亭1.jpg


内部は、二畳半台目。
躙口を左見ると床。
その脇に地板を三角に切り点前を広くしている。
【有楽囲い】と言われる。
他にも風炉先の火灯口を開けた板壁も特徴的である。

仁和寺遼廓邸2.jpg


所在地:京都府京都市右京区御室大内
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西翁院 澱看席 [茶席]

西翁院 澱看席(さいおういん よどみのせき)

西翁院は大本山金戒光明寺の塔頭寺院である。
天正12年(1584)藤村庸軒の養祖父、藤村源兵衛西翁院宗徳居士によって、明蓮社光誉清玄上人を開祖として創立。

茶室は藤村庸軒によって貞享二、三年(1685~6)の頃に建てられたとされる。
澱看とは南面の窓から淀川を眺める意で名づけられた。
しかし、この名は古書には記されていない。
反古庵(ほうぐあん)、紫雲庵などといわれる。
侘びを主とした藤村庸軒が眺めを意識して造ったとも考えられず、後の名称と推測される。

外観
本堂北面に付随する杮葺片流れ屋根の軒の出を浅くして、西面に切妻スギ皮で葺いた

差し掛け屋根。

西翁院 澱看席 反古庵1.gif


内部構成は、客座二畳、点前座、室床。
客座と点前座に中柱と仕切りを入れ炉は向切(道安囲い)。

西の窓は、風炉先。
南が、先に記述した澱看窓(下地窓)を配置、更に一重棚が吊られている。

室床は墨蹟窓の障子が西側に掛けられている。
全て屋根裏天井となっている。

その影響からか、落とし掛けの上の壁面が当然高くなっている。
高さのバランスからか、華鬘(けまん)の形の額を付けている。

※華鬘(けまん)
仏前を荘厳(しょうごん)するために仏殿の内陣や欄間などにかける仏具。
金銅・牛革製の円形または楕円形のものに、唐草や蓮華(れんげ)を透かし彫りにして、下縁に総状の金物や鈴を垂らすもの。

家系的に、利休、宗旦、遠州など茶人が関っている為、各部の意が随所に見られる。

所在地:京都市左京区黒谷
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慈光院茶室 [茶席]

慈光院茶室(じこういん ちゃしつ)

慈光院は奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の寺院である。
山号は円通山。
本尊は釈迦如来。
石州流茶道の祖・小泉藩主片桐石見守貞昌(石州)が創建した。

※片桐 貞昌(かたぎり さだまさ)は、江戸時代の大名。
大和小泉藩の第2代藩主。
茶道石州流の祖として有名である

1663年に両親の冥福を弔う為に、敷地の北に慈光院を造った。
書院、本堂を。
その八年後に茶室を増設。

全てが素のまま現存する貴重な財産である。
また、小高い丘の上にある為、そこから庭園をとおして山や田園風景は心癒す光景。

外観
入母屋茅葺の屋根。
桟瓦葺きの庇。
景色に溶け込む外観である。

慈光院茶室2.jpg


書院の東の広縁の北端に、二畳と二畳台目茶室がある。
二畳間と茶室の通しの間にして相伴席にみたてれば四畳台目にも変わる。
境には、引き違い襖で仕切られている。

慈光院茶室亭主床1.jpg


躙口から見て一番奥に床。
茶道口が床の左に開けられている亭主床(うしろ床)の典型的な例。

中柱や袖壁の配置を目線を意識して配置しているのも特徴。

石州好みにはしているが、随所に利休や織部の手法が見られる。

所在地:奈良県大和郡山市小泉町


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